憧れだった。こうやってみんなでわいわい集まって桜の花を見ながらジュースを飲んだりお弁当を食べたりするのが。
ずっとずっと、叶えたかった夢の一つ。
愛優妃にとっても、わたしにとっても。
愛優妃は毎年桜が咲いたときには、手料理を振舞って、統仲王や七人の子供たちと一緒に花を愛でるのが好きだった。でも聖とは一度もお花見をすることができなかった。
わたしになってからは立場が逆で、もしかしてこれも聖を置き去りにしてきた報いなのかと思ったこともあったけれど、――よかった。
樒ちゃんが笑ってる。
リラックスして楽しそうに。
「詩音さん、この串カツおいしいね」
わたしの手料理も喜んで食べてくれている。
「ありがとう」
神様。
いないって知ってるけど、お礼くらい言わせてください。
わたしに、この時間を与えてくださってありがとう。
かけがえのないこの時間があれば、この先に待ち受けているどんなことにも耐えていけそうな気がします。
「束の間の幸せだから愛しいのかなぁ」
「何哲学ぶってんですか。似合いませんよ、詩音には。それより、あそこのジュースとってください。それから卵サンドと照り焼きサンドも」
「……ったく、あんた何様?」
この小憎たらしい男さえいなければ。いや、いてもいいけど、せめてもう少し気を使ってほしい。あれ取れ、これ取れ、って、わたしはあんたのお手伝いさんじゃないっての。
「ふっ、それはもちろん、生徒会長様ですよ。あ、木沢君とクリス君じゃないですか、あれは」
しょうがないと思いつつも取ってあげたサンドイッチのお皿を手に、維斗は新たなお客に手を振りはじめる。維斗も、同じようなことを思ってるのかもしれない。
「あら、まあ、光くん今日は来られないって……」
「うん、そのつもりだったんだけど、凛は逃げないけど桜は時期があるからいってこいって父さんがさー」
「むしろ、ママさんと二人きりにしろって目で訴えられて、ね」
クリス君に苦笑されて、光くんは赤くなる。
「僕たちの分、ある?」
ぶっきらぼうに言ってしまうあたり、まだまだかわいい盛りなのね。
「たっくさん作ってきたから、座って、座って」
そしてわたしはかいがいしく二人にお菓子やらサンドイッチをとりわける。
「ん~っ、おいしーっ」
わたしの手料理に舌鼓を打つ彼らの顔を見るのが、わたしの幸せ。
願わくば、この時間がずっと続いていきますように。
「桜、咲いてるかな」
眠い六時間目の授業も終わって、わたしと桔梗、それに葵はお目当ての桜の木がある哲学の森への道を歩いていた。詩音さんと工藤君は、一度家にお弁当や飲み物を取りに行くからちょっと遅れると言っていた。
「校門のあたりのもいい感じだったからな。そっちの桜もいい頃合なんじゃない?」
昨日の夜、遅くなったとはいえ、授業が終わってしまえばこっちのものだ。葵も気分が盛り上がってるのがよく分かる。桔梗も言葉や身体に出してはいないけれど、楽しみにしてはいるらしい。携帯で話す声が心なしか浮き立っている。
「うん、うん。わかったわ。おば様によろしくね。おじ様にも」
「光くん?」
形態を切った桔梗に、わたしは尋ねた。
「そう。妹さんが生まれたから、今日は一緒にいたいんですって。クリス君もそっちに行ったみたい」
「そっかぁ。洋海も結局、部活抜け出すの難しそうだって言ってたし……」
「じゃあ、大人のお花見ができるな」
うーん、と腕を組んだところで、後ろからポテトチップスやペットジュースを大量に詰め込んだ袋を持った片山先生が現れた。
「お、先生、やる気満々じゃん」
「当たり前だ。生徒のお花見に便乗するんだから少しくらいはな」
「ていうか、本当にいらっしゃるとは思わなかったわー」
「藤坂……お前、ほんとひどいやつだな」
「やだ、先生、冗談ですよ、冗談。あら、もう誰か先に来ているみたいね」
森の入り口が見えてくる。薄暗い森の始まり。その道行きを照らすように、小さな湖の傍ら、薄紅色の花びらを数多につけた木が現れる。木の下には満開の花を愛でる人。
「龍、兄……」
わたしは、立ち止まっていた。
知ってる。わたし、この光景見たことがある。でもちょっと違うの。わたしが知っているのは銀の髪に白銀のマントを纏った背の高い人。顔立ちも似ているわけではないのに、それなのに、どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。
『龍兄……お願い。その人のところには行かないで。聖が、いるじゃない。聖じゃだめなの……?』
伝えたかったのに、伝えられなかった言葉。百年に一度、ユジラスカの花が咲く度に、龍兄は聖をお花見に連れて行ってくれたのに、いつからだろう。お花見に連れて行くどころか、ユジラスカが根を張るルガルダの森にさえ近づくのを嫌がるようになったのは。
「龍兄? 何言ってんだ、樒。ありゃ、夏城だろ? 寝不足か? おーい、なーつきー!」
葵に軽く頭を小突かれて、わたしは守景樒の世界に戻ってくる。ダブっていた景色も徐々に一つに収まっていく。
「ごめんごめん、おそくなったー。あれ、樒ちゃん、こんなところで立ち止まってどうしたの?」
「あ、詩音さん。それに工藤君も。早かったんだね」
詩音さんの腕にはバスケットがかけられ、心なしかいい匂いが漂ってきている。
「ほら、早く行こう?」
促されるがままに、わたしは桜の木の下へと歩みだした。
「よっし。全員揃ったな。それじゃ、ジュースだけどかんぱーい!」
泡立つ炭酸の入ったコップを手に、葵の音頭でわたしたちは家族団らんよろしく楽しくおしゃべりを開始した。なんだか得も言われぬくすぐったい気持ちが湧き起こってきたけど、きっとあの満開の桜のせいだろう。
舞い落ちてきた桜の花びらが透明な炭酸に落ちて、小さな小さな波紋を広げていった。
樒「ねぇね、洋海。あんた自分の偽者もう倒したんでしょう? 偽者って自分の欲望抱えてるから、ただ倒せばいいんじゃなくて受け入れることが大切だって光くん言ってたみたいだけど、洋海の偽者は一体何が望みだったの?」
洋海「え゛。俺の偽者? ああ、俺の偽者ね。俺の偽者の望みは……(思い出して)……あー、うー……」
樒「はっ。まさか人様にいえないようなこと?」
洋海「ねっ、姉ちゃんだって人様にいえないようなこと思ったことだってあるだろ?!」
樒「なに慌ててんの。そんなにやらしいこと考えてたんだー?」
洋海「十四歳だぞ? 健全な男子中学生なんだぞ? 俺だって、俺だって普通だぁぁぁぁぁぁ」
(洋海、インタビューステージから走り去る)
樒「なんっか様子変だったなぁ。まさか世界滅亡とか、世界全部俺のもの、とか馬鹿なこと考えてたんじゃないでしょうね」
桔梗「樒ちゃん、それ以上触れないであげましょうよ。洋海君、よくできた子だけど、すこし羽目外してたっていいじゃない」
樒「そう、だけどさー。でも、気になるなぁ」
(ちょっと離れた場所で)
光「言えやしない、言えやしない。守景洋海の秘めた欲望が×××だなんて、言えやしない、言えやしない」
葵「黙っといてやろうぜ、その辺は。洋海が必死で隠そうとしてるんだしさ」
光「でも、ほんとにほっといていいの? 下手すると樒おねえちゃん、一つ屋根の下だし……」
洋海「(会場の外一周して戻ってきた)そこ、誤解招くような発言やめてくれる? その言い方、まるで俺が姉ちゃんにほれてるみたいじゃん。 ないない。あの凶暴姉に恋なんて、絶対にない」
星「……凶暴姉……」
洋海「そうっすよー。夏城さんも覚悟したほうがいいですよー。見かけおっとりしてて天然ボケかましてますけど、あれ、全部計算ですから」
樒「洋海、何か言ったー?!」
洋海「ひぃぃぃぃぃっっっ」
(洋海、再び逃げ出す)
桔梗「まあ、うまく丸め込まれた気もするけれど、ほんとのところどうなの、工藤君」
維斗「どうして僕にふるんですか」
桔梗「だって貴方、統仲王でしょう?」
維斗「今、貴方と統仲王との間に『無能だけど』っていう言葉が聞こえた気がしたんですが」
桔梗「空耳って時に自分で思ってることが聞こえるらしいわよ」
維斗「ほぅ。そこまで言うなら、僕は無能ですからね。何も知りません。分かりません。〈予言書〉なんて読めません」
詩音「桔梗~。維斗もムキにならない。つまり聞きたいのは、洋海君が昔聖に片思いして結局いいように使われて捨てられた……」
樒「ひどい……」
詩音「あ」
維斗「詩音。いくらほんとでもそんな言い方がありますか」
詩音「ご、ごめん、樒ちゃんがそんなひどい人だって言うんじゃなくて」
樒「やっぱり、ひどい人だったんだ。やっぱり聖は、最低な人だったんだぁぁぁぁっっっ」
(樒、会場を飛び出す)
葵「姉弟して同じ行動パターンなんだな」
光「遺伝子の神秘」
星「……(洋海の本音が気になっているらしい)」
桔梗「もう、せっかく会場用意した甲斐のない結果になったわね」
詩音「会場って言ったって、学校の視聴覚室だけどね」
維斗「でも、ヴェルドも自ら茨の道歩いてますよねぇ」
(一同、ぎっと維斗を睨み見る)
維斗「あ、何ですか、皆さん、やっぱり気づいてらっしゃった?」
詩音「やぁね。デリカシーのない人間って」
桔梗「行きましょ、行きましょ。次の予定、立て込んでいるんだったわ」
星「はぁー(首を振ってため息)」
葵「頭よくても空気読めないと、今の世の中ダメだよな」
光「ねー」
(維斗以外、会場あとにする)
維斗「あ、あのー、(左右見回して誰もいないことを確認して)待ってくださーい、僕も次の授業行きますー」
偽者洋海と対峙するオリジナル洋海。
洋海「で、お前の望みは?」
偽者「気づいてるんだろ? やけに心軽くなってることに。特に理性のあたり、すごーく、制しやすくなってるはずだ」
洋海「さあ、そうかな。まあ、いいんだよ? そのまま持ってってくれてたほうが俺としても、さ。今生で大切なのは、手に入れることじゃなくて守ることだから」
偽者「何かっこつけてんだよ。どんなに言い訳したって、俺はお前の本当の欲望を知っている。お前が自ら決めたとはいっても、どれだけまだ足掻きたがっているか、どれだけ、あいつに嫉妬しているか、俺は知ってる」
洋海「ああ、そうかい。じゃ、やっぱりお前は野放しにしとくわけにはいかないな」
(洋海、武器捨てて偽者を抱きしめる)
偽者「うわ、何すんだよ、気色悪い」
洋海「我慢比べといこうじゃないか。お前が勝つか、俺が我慢しきるか。一生かけての我慢比べだよ。俺はお前のことを否定しない。お前の気持ちを否定したら、俺はヴェルドの人生否定することになってしまうから。戻ってこい――ヴェルド」
偽者「う、うわぁぁぁぁ」
(抱きしめられたところからオリジナルに吸収されていく偽者)
洋海「ほんと、油断も隙もありゃしない。姉ちゃんに聞かれたら一生口利いてくれないって。てか、むしろ殺されるか虚無に突き落とされるかも。こわー」
(1-5-1の樒救出へ)
「来る、来ない、来る、来ない、来る……」
摘んできたタンポポの最後の花びらが足元に散っていった。
「エルメノ様、ただいま戻りました」
「お帰り、禦霊。光は、来た?」
がくだけ残したタンポポの茎を回しながら、ぼくは顔をあげずに尋ねる。
聞かなくたって知ってる。今禦霊は光をその背に乗せて連れてきた。僕の命もなしに、光の命を救ってきた。僕がそう望んでいると思って。
「はい」
数秒躊躇った後、禦霊は頷いた。
「そう。よかった。それじゃ、本番の準備を始めようか――〈聚映〉」
聚映を取り出し、等身大の鏡に自らの姿を映し出そうとした僕の手を、禦霊は唇を噛み締めて掴み、押しとどめた。
「何するの、禦霊」
「おやめください。もうこれ以上、ご自分の似影を増やさないでください」
「どうして? 影武者は必要だよ」
「似影は影武者ではありません。貴女の本当の望みの一部です。それ以上、自分自身を切り売りしたら、貴女は貴女でなくなってしまう」
「ぼくはどんなになったってぼくだよ」
「いいえ。いいえ、いいえ。今一度あなたが似影を作ってしまったら、貴女はきっと本当に望んでいたことさえ分からなくなってしまうでしょう。光は貴女に逢いに来たんです。幼年期を一緒に過ごし、トラウマになるような別れ方をしてしまった貴女にもう一度逢いに来たんです」
「なら、リタルがいなくなってしまったから、リタルを……」
「ライオンの姿にしたって同じです。貴女自身には変わりないでしょう。それに……聚映によって作り出された貴女の影でも偽である限り、麗にかけられた永遠の鎖を外すにはいたらなかった。もう、いいでしょう? もう、ご自分を許してさし上げてもいいでしょう?」
思いを抱えきれなくなったのか、禦霊は辛そうな表情のままぼくを抱きしめた。
「ぼくは早くエルメノがいなくなってくれればいいと思ってるんだ。早く、闇獄十二獄主のエルメノ・ガルシェビチだけになればいいって」
「もう嘘はおやめください」
「生きるために、ぼくは最後まで自分を欺き続けなきゃならないんだ。ぼくが正直になれるのは、ぼくが死ぬときだけだよ。だから禦霊、それまでぼくの側から離れないでね。君は、ぼくにとっては麗の代わりなんだから」
自分の口から次々に紡ぎだされる嘘。
疲れたなんて思わない。もういやだなんて思わない。
思ったら負け。ぼくの本心を欺瞞(あいつ)に知られてしまったら負け。
これははじめからぼくだけのゲームだったんだ。
ぼくが、いかに最後まで自滅せずに自分を欺きとおせるかという、ゲーム。本心を人に語ったらぼくの負け。禦霊にだってかけたいたくさんの言葉を飲み込んで、僕は意地悪ばかり言う。
言えたらいいのにね。
つかの間、三人で楽しんだ時間は思いのほかいいものだっただろう? 光がいいというのなら、戻ったっていいんだよ、と。ぼくのことなんか放り出して、あの一人じゃ立っていられない甘えっこの面倒を見に言ったっていいんだ。むしろその方がぼくだって安心できるんだから。
だから、最後には解放してあげよう。
「ねぇ、アイカ。それから朝来こと本物のエルメノ。ぼくの汚されてない魂を分けた人たち。ぼくの似影。君たちはさ、こんなになっちゃだめだよ。偽者と呼ばれようと、本物と呼ばれようと、オリジナルから分かたれた瞬間から君たちはもうオリジナルなんだから。ちゃんと、誇りを持って生きるんだよ」
舞台奥の壇上に置いたマジックミラーで囲んだ箱にそれぞれ閉じ込めた二人のぼくを見下ろして、ぼくは禦霊の腕をそっと押しやった。
「さあ、ラスト公演のはじまりだ」