「来る、来ない、来る、来ない、来る……」
摘んできたタンポポの最後の花びらが足元に散っていった。
「エルメノ様、ただいま戻りました」
「お帰り、禦霊。光は、来た?」
がくだけ残したタンポポの茎を回しながら、ぼくは顔をあげずに尋ねる。
聞かなくたって知ってる。今禦霊は光をその背に乗せて連れてきた。僕の命もなしに、光の命を救ってきた。僕がそう望んでいると思って。
「はい」
数秒躊躇った後、禦霊は頷いた。
「そう。よかった。それじゃ、本番の準備を始めようか――〈聚映〉」
聚映を取り出し、等身大の鏡に自らの姿を映し出そうとした僕の手を、禦霊は唇を噛み締めて掴み、押しとどめた。
「何するの、禦霊」
「おやめください。もうこれ以上、ご自分の似影を増やさないでください」
「どうして? 影武者は必要だよ」
「似影は影武者ではありません。貴女の本当の望みの一部です。それ以上、自分自身を切り売りしたら、貴女は貴女でなくなってしまう」
「ぼくはどんなになったってぼくだよ」
「いいえ。いいえ、いいえ。今一度あなたが似影を作ってしまったら、貴女はきっと本当に望んでいたことさえ分からなくなってしまうでしょう。光は貴女に逢いに来たんです。幼年期を一緒に過ごし、トラウマになるような別れ方をしてしまった貴女にもう一度逢いに来たんです」
「なら、リタルがいなくなってしまったから、リタルを……」
「ライオンの姿にしたって同じです。貴女自身には変わりないでしょう。それに……聚映によって作り出された貴女の影でも偽である限り、麗にかけられた永遠の鎖を外すにはいたらなかった。もう、いいでしょう? もう、ご自分を許してさし上げてもいいでしょう?」
思いを抱えきれなくなったのか、禦霊は辛そうな表情のままぼくを抱きしめた。
「ぼくは早くエルメノがいなくなってくれればいいと思ってるんだ。早く、闇獄十二獄主のエルメノ・ガルシェビチだけになればいいって」
「もう嘘はおやめください」
「生きるために、ぼくは最後まで自分を欺き続けなきゃならないんだ。ぼくが正直になれるのは、ぼくが死ぬときだけだよ。だから禦霊、それまでぼくの側から離れないでね。君は、ぼくにとっては麗の代わりなんだから」
自分の口から次々に紡ぎだされる嘘。
疲れたなんて思わない。もういやだなんて思わない。
思ったら負け。ぼくの本心を欺瞞(あいつ)に知られてしまったら負け。
これははじめからぼくだけのゲームだったんだ。
ぼくが、いかに最後まで自滅せずに自分を欺きとおせるかという、ゲーム。本心を人に語ったらぼくの負け。禦霊にだってかけたいたくさんの言葉を飲み込んで、僕は意地悪ばかり言う。
言えたらいいのにね。
つかの間、三人で楽しんだ時間は思いのほかいいものだっただろう? 光がいいというのなら、戻ったっていいんだよ、と。ぼくのことなんか放り出して、あの一人じゃ立っていられない甘えっこの面倒を見に言ったっていいんだ。むしろその方がぼくだって安心できるんだから。
だから、最後には解放してあげよう。
「ねぇ、アイカ。それから朝来こと本物のエルメノ。ぼくの汚されてない魂を分けた人たち。ぼくの似影。君たちはさ、こんなになっちゃだめだよ。偽者と呼ばれようと、本物と呼ばれようと、オリジナルから分かたれた瞬間から君たちはもうオリジナルなんだから。ちゃんと、誇りを持って生きるんだよ」
舞台奥の壇上に置いたマジックミラーで囲んだ箱にそれぞれ閉じ込めた二人のぼくを見下ろして、ぼくは禦霊の腕をそっと押しやった。
「さあ、ラスト公演のはじまりだ」
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