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聖封神儀伝専用 王様の耳はロバの耳

「聖封神儀伝」のネタバレを含む妄想小ネタ雑記。

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〈惑乱〉――ゾーゲスト

運命とは、かくも残酷なものでございましょうか。
いえ、〈嫉妬〉の闇獄主を造り出すために造られた私(わたくし)のことではございません。アケルナ様のことでございます。
かようにも男運の悪い女性を、失礼ながら私、見たことがございません。
グルシェースは、愛優妃が説く「人を愛する」ということを闇獄界において唯一はじめて体現した男でございました。あの男は、幼い頃に一度神界で暮らしており、身をもって愛情というものを感じてきたのでしょう。故に、アケルナ様を東宮から攫ってきた時も、我々闇獄界の闇しか知らぬ者には到底考えもつかぬほど優しく、己を滅して尽くしていたのです。
残念ながら、私は「愛」などというものを理解することが出来ません。
剣を握らせれば右にも左にも出る者のいないあの男が、何故一人の女に拘るのか。それは、あの男が死んで尚、私の心に残された謎でございました。
生命というものは、己の遺伝子を残すために生きております。さすれば、たくさんの女と交わり、一人でも自分の遺伝子を残そうとするのが自然の摂理。
何故、たった一人の女だけに的を絞って、みすみす自分の遺伝子を残す機会を減らさなければならないのか、私にはついぞ理解できませんでした。
勿論、あの男が生きている時に問うたことがあります。確かあの男が死ぬ前夜のことだったと思います。
私は、あの男と焚き火を囲みながら二人きりで話しこんでいたのでございます。翌日の戦いの戦略について、戦術について、勝利した後のことについて。
あの男は、剣を握らせれば豪傑なくせに、剣を握らなければほとほと情に弱い男でございました。本来であれば、我々はアケルナ様のご出身地でございます東宮、志賀宮から征討を始める予定でございました。それが律様の御命でございましたが、しかし、あの男はアケルナ様の弟君を手にかけるわけには行かない、とあえて北の天龍の国の時空の綻びから攻め込むことを提案したのでございます。
その時点で、あの男の死は確定していたのでしょう。
まるで運命に操られたかのように、あの男は戦場で天龍法王を目指して豪楽を振りかざし、挑んでいきました。
あの男は知っていたのです。いかようにして知ったのかは分かりませんが、アケルナ様の前世が水海法王であり、そのとき、天龍法王には悔しい思いをさせられていたことを。
悔しい思い、と申しましたが、これまた私には不可解でなりません。
何故、自分の好きな男を振った女の付き合い始めた新たな男まで恨み、憎みだすのでしょうか。仮にも実の弟であるというのに。全くもって、人の心というものは、いえ、あの方の御心は底が知れません。
グルシェースは、あの方の心を少しでも晴らしてやりたかったのでしょう。
前夜、笑って言っておりました。
「ゾーゲスト。お前、俺が明日お前と瓜二つだという天龍法王に本気でかかって行っても、恨むなよ? 別にお前が憎くてあてつけるわけじゃあないんだからな」
私は、笑いもせずに分かっている、とだけ答えました。
ですから、当日、あの戦場で色違いの私がもう一人現れたとき、私は僅かに驚きはしましたが、躊躇いなく向かっていくグルシェースの背中を見て頼もしく思ったのです。
まさか、最期の最期で躊躇いを見せるなど、予想だにしないことでございました。
私はそれくらい、あの男から自分にかけられていた情に対して無関心、いえ、鈍感だったのでございます。
そして、あの男が死んだ後、私は不思議な気持ちに包まれました。
――私は、あの男にかけられていただけの情を返していたのだろうか、と。
友、と呼んではおりますが、それはあの男が私のことをそう呼ぶので私も友と呼んでいたのでございます。確かに、他の者どもよりは話も通じ、興味の尽きない男でしたから、私も友と思っていたのかもしれません。しかし、たとえ戦場であの男そっくりな男と対峙したとて、私はおそらく躊躇いなくその男を袈裟懸けに深く斬っていたことでしょう。いくら似ていても、敵は敵。グルシェースはグルシェース。そう、たとえグルシェースが神界側に寝返ったとして、あの男が私に向かってきたならば、躊躇うことなく私はあの男を斬ることができるでしょう。

「何故、どうして戻ってきたのよぉぉぉ」

私の顔を必死で殴りつけるアケルナ様の悲しみの深さは、見れば分かります。
しかし、私が分かるのはかの方が悲しんでいるという事実だけであって、悲しみという感情に関しては全く分からないはずなのです。それなのに、どうしたことでしょう。殴られるたびに、私の心に切り裂くような痛みが走るのです。
これは、八つ当たりに殴られた結果湧き起こる怒りや憎しみとは全く種を異にする感情です。何せ、私は天龍法王とそっくりだと聞かされていたからこそ、わざわざこの顔でアケルナ様に主の死をお伝えしに行ったのです。アケルナ様が私のことを毛嫌いなさっていることは存じておりましたから、少しでも、私に八つ当たりして気を紛らわしてくださればよいと考えて。
浅知恵と嗤われるかもしれませんが、そのとき、私も多少なりとも動揺していたのでございましょう。あの男のかわりに、いえ、あの男の遺志を継いで、今度は私がアケルナ様をお守りしなければならないと思っていたのです。
とにかく、これは私にとって初めての経験でございました。
悲しみという感情を知ったことも、誰かを守ろうと心に誓ったことも。
それから後は、御存知の通りでございます。
私は、アケルナ様が〈嫉妬〉の獄主になることを止めませんでした。アケルナ様は、グルシェースの世界の平和のために獄炎の器となって消滅しようという遺志をお継ぎになりたかったのと同時に、もう二度と転生などしたくないとお考えだったのでしょう。転生をしても、もう二度とグルシェースの魂に巡りあうことはございませんから。
私は、静かに静かに、しかし秒針が時を刻むかのように正確に〈嫉妬〉の炎に狂わされていくアケルナ様を、ただお見守りしつづけてまいりました。
アケルナ様は、美しかった。
そう、美しいという感情に出会ったのも初めてのことでございます。
精神を病めば病むほど透き通っていく白磁の肌。俯く横顔に影を落とす曙色の睫毛。相対的に際立っていく赤い唇。
私の心は、アケルナ様の騎士であることに誇りを抱くとともに、抑え切れない劣情に悩まされるようになっておりました。
グルシェースは死んだとはいえ、アケルナ様は友の妻。今でもグルシェースを深く愛しておいでです。そして何より、次第に私が側近くに仕えることを受け入れて下さるようになっておりました。
今、この信頼関係を壊すわけには参りません。
そう確固たる思いで毎朝アケルナ様の癇癪を受け止めてはいたのですが、ある夜のことでございました。
アケルナ様は体調を崩され、床についておいででございました。額のタオルを替えるのは、侍女ではなく私の務めでございました。なぜなら、アケルナ様は着替えを手伝う侍女にさえ、寝顔は見られたくないと固く彼女たちの世話を拒んだのです。私を寝室に入れたのは、絶対的な信頼があったからだと、そのとき私は天にも上る気持ちで有頂天になっておりました。
一晩中、寝ずに美しい女の顔を眺めているのは本当に、幸せなことでございました。ええ、幸せという感情もこのとき私は学んだのでございます。
同時に。
私は己の劣情を抑えることができず、タオルを載せる前にその滑らかな白い額に唇を寄せてしまったのです。
すべらかな感触は、熱に潤んだ縋るような目にすぐにどこかに飛んでいってしまいました。
そう、なのです。
アケルナ様は、熱のせいか私に甘く媚びるような視線を送っていたのでございます。
「ゾーゲスト、お前はいかないでちょうだいね。私を置いて、どこか遠くになど行かないでちょうだいね」
「ア……ケルナ……様……」
背中に回された腕に心を乱され、私は彼女から目が離せなくなっておりました。
「一人にしないで。ゾーゲスト、お前だけよ。お前だけが、私を真っ直ぐに見てくれる……」
いつから、彼女は気づいていたのでしょうか。私のあえなく注がれる下卑た視線に。
私は、身も心も火照る思いでございました。手に握っていた絞ったばかりのタオルも投げ捨て、むしゃぶりつくように彼女の唇を弄り、汗に湿った寝巻きをはだけさせたのでございます。
露になった白い双丘に私の全身はいきり立ち、私は一つ、身を震わせました。
女の体を抱くことは、何もこれが初めてではございません。己の遺伝子を残すための行為として、一人の女に固執することなく都合のよい女を呼び出しては本能を満たしておりましたから。
しかしながら、彼女の体は別でございました。
彼女の上半身は犯し難い聖域となって私の前に現れ、私の心を張り裂けんばかりに一杯にしたのです。
さっきの震えは、畏怖に竦んだものでした。
亡くなった友人の妻という立場的な侵しがたさの他に、そうなのです、私はいつの間にかこの方に憧れを抱いていたのでございます。
私は、勢いに乗ってはだけてしまったアケルナ様の寝巻きをまた元の通り重ね合わせました。アケルナ様の顔など見られませんでした。きっと、病に寝込み、心弱くなったところを漬け込んだと思われているに違いありません。私の背に腕を回したのは、熱にうなされてグルシェースと勘違いなさったのでしょう。その証に、アケルナ様の左薬指にはまだ白銀の光を放つ指輪が嵌められてございます。
それらを確認し、もう一度この方はなきグルシェースの細君であることを己に言い聞かせ、やっとの思いで寝台から降りた私は、改めてアケルナ様を拝顔したのでございます。
「ゾーゲスト……」
そこには、失意に澱んだアケルナ様の顔がございました。
そして、確かに私の名を呼んでおりました。
私は、その顔に、声に、もう一度生唾を飲み込みました。
転生のないグルシェースは、もう二度と、彼女と私の前に現れることはありません。グルシェースの影になど脅える必要はないのです。むしろ、愛情豊かなあいつなら、自分の死後は私に妻を幸せにしてほしいと望むかもしれません。いえ、あえて私は記憶から除外していたのですが、確かに言われたのです。あの前夜、焚き火を囲みながら、もし自分がいなくなったらアケルナをよろしく頼む、と。彼女の望むようにしてやってくれ、と。たとえそれがお前を求めることであっても、お前が彼女を求めてくれるのなら応えてやってほしい、と、まるでこの状況を見てきたかのように口にしていたのでした。私は、「アケルナ様には嫌われている。頼まれることはあっても、けして自ら望むようなことはない」と答え、このくだらない遺言を記憶から排除したのです。
しかし私は今、明らかに彼女を欲していました。
身体だけじゃない、その心が私を望んでくださっていることがこの上なく嬉しかったのでございます。
ですが――。
「大変失礼いたしました。どうぞお許しください。今、新しいタオルに交換いたします」
私は、逸る気持ちを押さえつけて放り投げていたタオルを拾い上げ、冷やしておいたタオルをアケルナ様の額におのせいたしました。
「ゾーゲスト、私は……」
「まだ熱が下がっていないからでしょう。お眠りください。さすればきっと……」
「悪い夢ばかりなのよ? 眠れば私は悪夢に翻弄されるばかり。助けて、ゾーゲスト。私を、助けて……」
「では、手を握っておりましょう」
「いやよ。そんなんじゃ駄目。抱きしめて。私が呼吸を忘れるくらいに、抱きしめてちょうだい」
跳ね起きて叫んだアケルナ様の肩を、私はきつく抱きしめました。
アケルナ様は、深い深い溜息をおつきになりました。
「やっぱり嫌いよ。貴方なんか嫌いだわ。大嫌いよ」
「存じております」
「何かあれば、存じております、そればっかり。でも、私は知っているのよ? 存じていますと分かった振りをしている時ほど、貴方は何も分かっていないんだわ。分かろうとしたくないのよ。だから、上辺だけ見て知った気になってしまっているの」
何と得がたい女なのでしょうか。
私は彼女を抱きしめる腕に、さらに力をこめました。
彼女の要求にこたえるためだけでなく、自分の手が勝手なことをはじめないように押さえつけるために。
「苦しい……ゾーゲスト……」
アケルナ様はそう呟いて意識を手放されました。
私は、そうして一晩中、夜が明けるまでアケルナ様を抱きしめておりました。その間に、私はアケルナ様にずっと焦がれてきていたのだと、もしかしたら、グルシェースがこの世界にアケルナ様を攫い来て、私に紹介した時から、一目で恋に落ちていたのではないかという結論に至ったのでございます。ええ、グルシェースの隣りに座するアケルナ様を見る度に胸に燻っていた不快感は、グルシェースへの嫉妬だったのかもしれません。それに気づいていたからこそ、グルシェースはあんな遺言を私に残した――そう考えれば、合点がいくことも多いのでございます。
心に溢れるこの切なくも甘い気持ち。
まだ、「愛」ではないと思いました。
憧れが強まった崇敬な想いとでも申しましょうか。私は、この気持ちをとても大切にしたいと思ったのでございます。同時に、アケルナ様が在る限り、私も側にいつまでもお仕えしたいと願ったのでございます。

その日。
私はアケルナ様のお目覚めを待って、一週間のお暇を願い出ました。
アケルナ様の体調は頗るよくなっており、侍女たちの世話も受け付けるようになっておりました。
暇を得てまで私が向かった先――闇獄宮、獄炎の間。
つくづく、縁とは不思議なものでございます。グルシェースがこの間に詣でると言った時は、私は何を馬鹿なことを、と思いました。私には、そこまで確固たる意思を持つに至ったことが理解できなかったのでございます。アケルナ様がこの間に向かわれた時に止めなかったのは、グルシェースを見て、追い詰められた人の意思の力というものがいかに強いのかを知っていたからでございます。それは悲しみに追い詰められたものではございましたが。
そして、最後に私がそのアケルナ様をお守りするために己の意思を問う。
なんだか順番が違うような気がいたしますが、それでも私は獄炎程度のものに負ける気はいたしませんでした。
望みは、永遠の命。しかし、死んでなお、生まれ変わりたくはありません。生まれ変わったところで、友も、愛しい女もこの世界にはいないでしょうから。そんな世界に、私は希望などございません。

「残る炎は〈悔恨〉、〈惑乱〉――〈惑乱〉、か。今の私にはちょうどよいかもしれぬな。己の心の乱れ惑うこと、春嵐の如く、あの方の御心を乱れ惑わせたきこと、盛夏の如く。獄炎よ、我が腹内に下るがよい。我が心ごと、汝を封じてくれる」

皿に身を差し出した後のことは、詳しくは申しません。あまりにも情けない様であったと思われるということだけをお教えしておきましょう。
一週間後、私はアケルナ様のお邸で再び仕事に復帰いたしました。
窓辺で本を読んでいらしたアケルナ様は、私を見るなり開口一番にこうおっしゃいました。
「お茶を淹れてちょうだい。貴方の淹れたお茶以外はとても飲めたものじゃないわ」
そのまま、また本に目を落としてしまわれました。
私は、言われたまま女主の好むアールグレイを淹れて差し上げようと、お湯の入ったポットを持ち上げたのですが、思いのほかポットは重く、肘は軋みを上げ、あえなく私は両手でポットを持つはめになりました。
「一週間でずいぶんと老けたこと」
お茶を淹れる姿が視界には入っていたのでしょう、ぼそり、とアケルナ様は若々しく美しい顔に苛立ちと失意を貼り付けてそうおっしゃいました。
お茶を注ぎ足したカップの紅い水面に映ったのは、もう人生の大半を過ごし終えてしまったような老いた男でございました。しかし、その口元には笑みが浮かんでおります。
「どうぞ」
震える手で盆からアケルナ様近くのテーブルにソーサーとカップを置くと、アケルナ様は本から目を離さぬままカップを持ち上げ、一口、紅茶を啜られました。
「味は、変わらないのね」
安堵したようにおっしゃって、もう一度、女主は私の淹れたお茶をお召しになりました。
そんな女主に私は深く一礼をして、鉛のように思い体を引きずって主の部屋を出たのでございます。

「男というのは、どうしてこうも女を失望させることが好きなのかしら」
扉越し、聞こえてきた小さな溜息に、思わず私がほくそ笑んだのは言うまでもございません。
「愛しております、アケルナ様――」
皺で顔を潰し、男としての魅力をそぎ落とし。
これでようやく、私は不可侵の聖女に仕えられる身になったのでございます。
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