人は、憎しみから罪を犯す。
何故、罪を犯さなければならないのか。それを考えるのは慨嘆の仕事。
俺の仕事は、何故人は過ちを犯すのかを考えることだ。
理由はどこまでいっても見つからない。
人は自分本位だから。
それだけでは答えにはならない。
人はそういう風に設計されているのだ。
設計――神の手によって。不完全に我らは造られた。
何故我らは憎しみあわなければならないのだろう。
何故我らは、人を妬まねばならないのだろう。
何故我らは、一人として同じ運命を辿れないのだろう。
何故我らは、同じではないのだろう。
何故?
何故、マルタは殺されなければならなかったのだろう。
神界という慈愛に満ちた正義だけの世界で、何故俺を養っただけであんな目に遭わなければならなかったのだろう。
仲間だろう? 同じだろう? 誰だって、子供が飢えて倒れていれば、あの世界の者なら拾って養うだろう?
何故。
何故、俺が闇獄界から来たと分かった瞬間に手のひらを返したようにマルタを魔女扱いした?
何故、ついさっきまで一緒に笑いあっていたのにこれほどまでに冷たくなれる? 残酷になれる?
「嫌いにならないでおくれ」
養母さん、あんたは酷だよ。
どうして最期の最期でそんなひどいこと言うんだよ?
あんたを殺す奴らだぞ? あんたをそんな目に遭わせた奴らだぞ?
どうして嫌うななんて言うんだよ。
「グルシェース、あたしのかわいい子。どうか、不幸にだけはならないで。どうかどうか、幸せに……」
不幸になるな?
幸せになれ?
どうやって?
あんたをなくそうとしているのに、どうして不幸にならないでいられるものか。どうしてこの先幸せになんてなれるものか!!
「笑っておくれ……そう、いい笑顔だ……」
これのどこが、いい笑顔なんだ。
腸の煮えくり返ったこの状態に無理やりかぶせた微笑の仮面。あんたは、最愛の義息子に嘘をついて生きろって言うんだな。ひどい人だ。ほんとに、ひどいババァだよ、あんたは。
「無理だよ……。俺は、無理だ……」
腕に託されたババァの全体重。こんなに軽いなんて、半年ともに暮らしてきて気づかなかった。
『どうせ残り少ない人生だ。得体の知れないあんたにせめて人としてのマナーって奴を叩き込むくらいの楽しみはあってもいい』
ババァ。
俺をただの獣から人にしてくれた義母さん。
悪ぃ。俺、このままこの気持ちを腹ん中に納めとくなんて無理だよ。
あんたは泣くかもしれないけど、俺は、我慢できないんだ。
「あんたを拾ったからこんな目に遭ったんだ」って、一言でも責められていたら、俺はきっとあんたの言うとおり奴らに報復しないで自分の世界に帰ってたさ。
だけど、俺はあんたの息子になっちまったんだよ。血は繋がってなくても、ババァの心を受け取って俺は人に生まれ変わったんだよ。
「ババァ、ごめん」
幸せにはなれないかもしれないけど、俺の不幸じゃない状態は、奴らを恨みながら生かしとくことじゃないんだよ。分かってる、そんなことしたらもう二度と義母さんに顔合わせられないって。
だから。
それだけのリスクを俺は背負うよ。
一度は笑顔で言葉を交わした奴らの血に塗れて闇獄界に帰った俺は、その足で闇獄宮の獄炎の間に入った。
〈憤怒〉の獄炎が青々と燃える皿の前で、俺はその炎に身を投げ出した。
燃やし尽くされても構わないと思った。しかし、燃やし尽くされてなるものかと歯を食いしばった。
俺が、この炎を飲み込んでやる。今、俺ほど深い瞋恚に沈んでいる奴はいるまい。今後も俺、一人だけだ。
人の世の業の一つ――怒り。
全て俺が受け止めてやる。一人でも、俺のような怒りに沈む奴が生まれなくても済むように。
ババァ、ごめんな。
「グルシェース……辛い目に、遭わせてしまいましたね」
生き残った俺を抱き上げたのは、ババァじゃなかった。闇の中にもかかわらず、燦然と輝く光。
「愛優妃、様」
ババァ、いるんだな。こんな真っ暗いとこでも、女神様がよ。
「ババァは、元気、ですか……」
女神様なら、ババァの転生先を知ってると思ったんだ。
愛優妃は一度目を瞠り、それから微笑んだ。
薔薇が綻んだようだった。
「ええ、元気に生まれたところですよ」
「よかっ……た……」
すぐに、腸がぐつぐつと煮えくり返りはじめていた。感情には関係ない。この腸にあの炎は棲みついたんだ。俺が少しでも気を抜いて幸福に浸ろうとすれば、いつでも俺を食い破る気なんだろう。
ああ、いつでも仕掛けてきてくれ。
俺が、犯した罪を――ババァとの約束を反故にしちまったことを忘れないように。
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