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聖封神儀伝専用 王様の耳はロバの耳

「聖封神儀伝」のネタバレを含む妄想小ネタ雑記。

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キースの初恋(R-15)


 これが初恋といえるのかどうか。
 彼女と初めて出会ったのは、俺がまだ五歳の時だった。


 母と周方宮を逃げ出し、西の最果てから南の端へ。そのさらに南には前人未到とも思える霧に覆われたシャクンタラー大樹海が広がっていて、実際、子連れの母子の足でたどり着けるのはその手前のレフェトが関の山だった。
 レフェトは母の生まれた町だった。母はここで出会った東から来た男と西から来た女との間に生まれ、十歳になる前に父は消え、十歳になるかならないかという頃に母を病気で亡くした。
 いつの時代も十歳前後の女子供が一人で生きていくのは難しいもので、母も相当難儀した末にたどり着いたのが、レフェトの娼館だった。
 十歳ほどで男に春を鬻ぐ気になった少女の境遇など、俺にはわからない。ただ、他に身寄りもなく食べるものはもちろん住む場所や着るものにも困ったというから、「あそこには食べるものも着るものも、住むものもあって、その上技芸の教育まで受けられる、あたしにとっては最高の場所だった」という母の言葉に嘘はなかったのだろう。
 シルザスは母が十八歳の頃に母の世話をする少女として雇われたのだそうだ。母のように両親を亡くしたのか、貧しい農村から売られてきたのかは分からない。本人もよく覚えていないそうだ。しかし、五歳で雇われた彼女は、年の割に聞き分けがよく、よく気の付く子供だったらしい。
 そんな彼女と出会った時、彼女はようやく十一歳になろうとしていた。
 母が匿ってもらうために頼って訪れたのが、八年世話になったレフェトの娼館だった。いやで逃げ出したわけじゃない、という母の言葉通り、俺たちを受け入れてくれた女将さんは嫌味の一つも言わず、昔母が使っていたという部屋をあてがってくれた。そこで母がどうやって生計を立てていたのか、そんな野暮なことは聞かなかったが、そうでなくてもおってにおわれていたのだから、表だって客の相手をするようなことはなかったはずである。客と顔を合わせることのない、ついでに口の軽い従業員とも顔を合わせる機会の少ない下働きをしていたはずだ。
 母が働いている間、俺の面倒を見てくれたのがシルザスだった。
 俺たち母子が身を寄せた時、おそらく彼女はまだ客を取ったことはなかったはずだ。下働きをこなし、芸妓を磨き、知識を身につけ、それを俺にも教えてくれた。
 けだるい午後、中庭でおれが笛を吹けば彼女が軽やかに舞う、そんな時間が俺にとっては幸福だった。
 それでも時は来て、彼女に会えない日が続いた。そして、結局会えないまま、俺たち母子は追っ手に見つかり、その娼館も命からがら後にした。
 とても短い間だったと思う。
 それでも俺にとっては、最後の安らかな記憶となった。
 レフェトの娼館を出て、さらに東へ。シャクンタラー大樹海に入って追っ手を撒くことも母は考えたらしいが、南の果てに出てしまっては逃げる場所を失ってしまうと、天宮の周りをぐるりと回るように逃げることにしたらしい。ネートの大森林の中を彷徨ううちに育命の国に入り、首都サズプレコを過ぎたところで、俺たちはついに追手に追いつかれた。
 間が悪いことにそこは隠れる森もない真っ平らな平原だった。
 ぽつぽつと生えている灌木など何の役にも立たない。
 母は必至で栗鹿毛の馬の腹を蹴り、先を急かしたが、黒の駿馬を駆る第一皇妃の手練れたちの追跡からは到底逃げ切れるものではなかった。
 母は俺に決して手綱を離さないように、後ろを振り返らないようにと言いつけ、速度を落とすこともなく自ら落馬して追跡者たちの馬足を挫き、引き留めようとしたらしい。 
 後ろを振り向くなといわれていた俺は、汗ばむ手で手綱を握り、前だけを睨み据えていた。
 背後からは、母の悲鳴は一切聞こえてこなかった。
 足を救われた馬たちの悲鳴と、落馬した男たちの悲鳴が聞こえるばかりだった。
 そして俺は再びネートの大森林の東側へと突っ込み、日の暮れかけた薄暗い森の中に馬上から投げ出された。背中を打って意識を失っていたから、あの栗鹿毛がその後どうなったのかは分からない。ただ、親切な湖畔の鍛冶屋夫婦の世話になっていた間、二度とその馬に生きて会うことはなかった。森の北の端でたくさんの切り傷を負った栗鹿毛の馬の亡骸を見たという噂は聞いたけれど。
 俺は鍛冶屋夫婦の息子として過ごすようになった後も、一度たりとも母の仇を忘れたことはなかった。なぜ周方宮を追われることになったのか。なぜレフェトの娼館を追われることになったのか。なぜ、一年余りも逃げ続けなければならなかったのか。そして、今もこうやって森の片隅に身を潜めていなければならないのか。
 全て、あの女のせいだ。
 復讐してやる。必ずや、母の命をその命で贖わせてやる。
 そう誓って一人剣の腕を磨き、再び親切な鍛冶屋夫婦まで殺されて、俺の恨みは最高潮に達していた。
 どこから湧いて出たのか分からない師匠に勝手に弟子入りさせられ、あの女を殺すための技術を暗器や毒物の使い方に至るまで仕込まれ、ついには西の都アンクリュッセルで風の精霊王の力まで手に入れさせられた。
 強制されたような言い方をしてしまったが、奴は提案はしても俺に強いたりはしなかった。望んだのはいつだって俺だった。もっと強い力を。もっと、もっと、もっと、確実にあの女を殺せる力を。
 あの女自体は、本当は大した強さもなかったのだ。
 ただ、幼心に恐ろしい思いだけが刻み込まれていて、俺の持ちうる限り最大限の力を持って当たらなければ倒せないような気がしていた。
 最大の味方となるべき存在から新たな恨みを買いながら、ようやく密かに周方の都ワルソに戻った時、俺は十年ぶりにシルザスと再会した。
 二十一歳になっていたシルザスは、レフェトの娼館をやめ、西の国を転々としながら周方にたどり着いたのだという。なぜ周方を目指したのか、十年前の彼女の印象が正しければ、彼女もまた母の、リセ・サラスティックの仇を討ちに来たのではなかったのだろうか。
 しかし、シルザスは見るからにやせ細り、あまりいい顔色とは言えなかった。
 ワルソ郊外の辻裏のバラックで客を引き、何とかその日を食いつないでいる。そんな感じだった。
 周方宮を前に身を隠すために入り込んだ貧民街で彼女に出会えたことは、今思うとこれもまた奴の差し金だったのかもしれない。
 俺が後戻りできなくするための。
 周方宮に入り込むための機を窺うためだけのほんの三日間の間に二回、俺は彼女の元に通った。
 一度目はたまたま出会ったその日、旧交を温めるために。十年も前の、それも互いにまだ幼いとしか言いようのなかった時代であったのに、俺たちは昨日のことのように思い出を分かち合うことができた。母のこともまた偲ぶことができた。話すだけであっという間に夜になっていた。
 翌日、周方皇妃エマンドがあと一週間は後宮に留まることを確認し、警備が手薄になる時間帯に目星をつけた俺は、急く気持ちを押さえて次の夜を決行の日と決めた。
 そのことを告げに行くと、彼女はおもむろに衣を脱ぎはじめた。
 そんな気はないのだという俺に彼女はのしかかり、言った。
「最後の夜になるかもしれないんでしょう? あたしもあんたに教えておきたいことがある。あんたのお師匠様も、リセ姉さんも教えてあげられないこと」
 シルザスは艶めかしい目で俺を見つめ、唇を吸った。
 驚いた俺は思わずシルザスを突き飛ばしたが、彼女は笑ってすぐに戻ってきた。
「今度はキースがやってごらん」
 挑発するように。
 俺は怒りとも昂揚ともつかない攻撃的な気分になって、彼女の薄い唇を吸い返した。
「そう……そう、もっと……」
 彼女の真似をして深く舌を差し入れ、絡ませ、その間に彼女はさすがとしか言いようのない手際の良さで俺から衣類をはぎ取っていく。
 俺は彼女に言われたとおり彼女の真似をしながら、征服心に任せて初めて女を抱いた。
 快楽も愛情も何も残らなかった。空虚な喪失感だけが残った。
 五歳の時のうっすらと甘く疼く思いもその時だけのものになった。
 彼女が俺に教えたのは女の抱き方。愛情の示し方じゃない。どこをどうすれば女が喜ぶのか、何を囁けば蕩けさせられるのか、あのレフェトの娼館で壁一枚隔てて行われていたことがそのまま丁寧な解説付きで再現されただけのことだった。
 俺は冷静に彼女の授業に従うただの生徒で、彼女は職業として俺にそれを教えるただの先生だった。うんざりするほどそれは機械的で事務的で、疲労感ばかりが募るものだった。
 全てが終わった後、俺は脱ぎ散らかされた衣類を拾い集めて身に纏い、いまだ寝床で気怠げにしている彼女を置いて出ていこうとしていた。
「あんたが好きだったよ」
 そんな一言でも聞けるんじゃないかと、それでも内心は期待していて、背中は彼女の言葉を受け止めるために気を張っていた。
 そんな背中に投げかけられた言葉は、失望とも意外とも取れるもので。
「キルアス」
 彼女はわざと俺の本当の名前を呼んだ。誰かに聞いていたのか、それとも一度でも周方の血族に連なるものとして生まれれば名前だけは有名になっているものなのか、それは知らない。きっと母は教えていない。どんなに信頼していた侍女だったとしても、俺にさえ「母上」と呼ぶことを禁じ、自分もまた二度と俺をその名で呼ばなかったくらい念には念を入れて用心していたのだ。
「あんたはあたしを殺していいんだよ」
 扉から出ようとした足が止まった。
 何故、とついに振り向く。
「あそこにあんたたち母子がいることを喋ったのはあたしなんだから」
 目を見開いた俺に、彼女は力なく苦笑する。
「初めてとった客が、あんたたちのことを探りに来ている男たちだった。最近入った子連れの怪しい女はいないか。何度もそう聞かれた。絶対喋るまいって思ってたんだよ。でもね、何度も何度も力任せに嬲られているうちにね……殺されるって思って……いるって言っちまったんだよ。いくら初めてとはいえ、五年もあそこで下働きしてたんだ。何をするかくらいあたしだってわかっていたけどね。それ以上のことを要求されたんだよ。あれは、今思い出しても身の毛もよだつような拷問だった。『いるよ』。たった三文字に気を取られている男たちを出し抜いて舌を引っこ抜かれる前に部屋から転がり出てさ、廊下に血の跡を残しながらリセ姉さんの部屋に転がり込んだ。『逃げて』。それだけ言ってあたしは意識を失った。今にして思えば酷いよね。血の跡を辿ればあの男たちはすぐにリセ姉さんのところにたどり着けちまったんだから、もう少しあたしも配慮ってもんをするべきだったんだ。あたしが意識を取り戻したときにはさ、あんたたち母子はもういなかった。女将さんから捕まる前に逃げたって聞いた時には心底安心した。でも、喋ったのはあたしなんだ。結果的にあたしは姉さんとあんたの居場所を奪ってしまった。姉さんの命も、奪ってしまった。キルアス。あんたたち母子を追い込んだのはあたしだよ」
 俺は何を思ったか彼女の元に戻り、半ばベッドに腰掛けて彼女のこけた頬に触れた。枯れ枝のような腕を握った。
 そのまま握りつぶしてしまうんじゃないかと思いながら、口からは違う言葉が出ていた。
「どうして遊んでくれなくなったの」
 お客を取ったから顔を合わせにくくなったのだと思ってた。子供と遊ぶなんてこと、馬鹿らしくなったんだと思ってた。俺も、どんな顔をしてシルザスに会えばいいかわからなかった。
「お客を取るためだよ」
「俺に、会いたくなかった?」
「会ったら、あんたが大きくなるまで客は取らないなんて言い出しかねなかったから。キース、あんたは皇子様なの。あたしの、手の届かない皇子様」
「シルザス――!」
 ようやく聞きたい言葉を得られたと思った。
 だけど。
「キース」
 彼女は俺の手をゆっくりと解き。
「いつか情熱的に愛し合える女性(ひと)と出逢えるといいね」
 潤んだ瞳で見つめてくるのに、唇はさっきのように簡単には奪わせてくれそうになかった。さっきの冷めた情事が触れることを躊躇わせる。
 生きろと言った。復讐を果たしても生き抜けと。それも、この反吐が出るような掟に縛られた神界の民として、人を愛せと。
 シルザスではない、別の誰かを。
「あたしはね、もう長くないから。ああ、大丈夫。伝染るような病気じゃないから。内臓のね、胃の腑が悪いらしいんだよ。だからさっきのことは気にしなくていいんだよ」
 シルザスの顔色は月明かりに照らされてなお悪い。
「謝りたかったんだ。ずっとずっと、謝りたかった。この街にいれば、いつかあんたが戻ってくるんじゃないかと……」
「そんな、馬鹿な……」
「でも、ちゃんと戻ってきた。ちゃんと会えた。だから、もう行きなさい。――いきなさい」
 あの頃、豊かに黒く波打っていた髪は月明かりに白く透けていた。張りと艶に満ちていた肌は萎びた野菜のようにしわくちゃでとても二十歳そこそこには見えない。それでも青紫色の瞳は強く俺の背を押そうとしていた。
「シルザス」
「キース」
「さようなら」
「――さようなら」
 もう振り向かないと決めて背を向けた。見送る視線を背中に感じながら後ろ手に彼女の部屋の扉を閉じた。
 いきなさい。
 彼女の言葉を反芻する。
 行きなさい。
 生きなさい。
 どちらとも取れる、曖昧な発音。
 生かしたいなら引き留めてくれればよかったのに。
 貴女ならどんな手管を使ってでも男の心と体を自分の元に留め置くことができたはずだ。
 なのに貴女は俺に生きろという。
 復讐を果たして、生きろ、と。
 酷い女だ。酷い……なんて酷い女なんだろう。
 自分の想いばかりは遂げて、俺の心は拒むだなんて。
「ああ、そうだ。女ってのは勝手で酷い生き物だった」
 言い聞かせるように呟く。
 生まれてこの方俺が出会ってきた女はろくな女がいない。自分の母親を覗けば、唯一女神のようにましだったのが、鍛冶屋のおかみさんだった。
 いい女ほど早く俺の前からいなくなっていく。
 そうか、だからあの女はまだ俺の目の前にいるのか。
 周方宮の城壁を睨みあげる。
 宮殿の奥、十年も昔に暮らした記憶がおぼろげながら蘇る。
 明日、この街は史上空前の大嵐に見舞われる。風と雨と雷と、きっと天地が引っくり返るような天候に見舞われるだろう。
 そして、ほとんどの衛兵が対応するために外に出てくる。
 そこを狙い、十年前逃げるために通ってきた地下道を使って後宮に忍び込む。
 欲しいものはあの女の命。
 あの女がいない未来の世界。
 そこに俺が生きているかいないかは、正直どうでもいい。
 ようやく、長年磨き続けたこの剣にあの女の血を吸わせることができるのだ。
 周方王の紋章が刻まれた剣の柄を強く握る。皮が擦り切れるほどに握り、そして身震いとともに離した。
 全ては、明日。
〈了〉
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