「桜、咲いてるかな」
眠い六時間目の授業も終わって、わたしと桔梗、それに葵はお目当ての桜の木がある哲学の森への道を歩いていた。詩音さんと工藤君は、一度家にお弁当や飲み物を取りに行くからちょっと遅れると言っていた。
「校門のあたりのもいい感じだったからな。そっちの桜もいい頃合なんじゃない?」
昨日の夜、遅くなったとはいえ、授業が終わってしまえばこっちのものだ。葵も気分が盛り上がってるのがよく分かる。桔梗も言葉や身体に出してはいないけれど、楽しみにしてはいるらしい。携帯で話す声が心なしか浮き立っている。
「うん、うん。わかったわ。おば様によろしくね。おじ様にも」
「光くん?」
形態を切った桔梗に、わたしは尋ねた。
「そう。妹さんが生まれたから、今日は一緒にいたいんですって。クリス君もそっちに行ったみたい」
「そっかぁ。洋海も結局、部活抜け出すの難しそうだって言ってたし……」
「じゃあ、大人のお花見ができるな」
うーん、と腕を組んだところで、後ろからポテトチップスやペットジュースを大量に詰め込んだ袋を持った片山先生が現れた。
「お、先生、やる気満々じゃん」
「当たり前だ。生徒のお花見に便乗するんだから少しくらいはな」
「ていうか、本当にいらっしゃるとは思わなかったわー」
「藤坂……お前、ほんとひどいやつだな」
「やだ、先生、冗談ですよ、冗談。あら、もう誰か先に来ているみたいね」
森の入り口が見えてくる。薄暗い森の始まり。その道行きを照らすように、小さな湖の傍ら、薄紅色の花びらを数多につけた木が現れる。木の下には満開の花を愛でる人。
「龍、兄……」
わたしは、立ち止まっていた。
知ってる。わたし、この光景見たことがある。でもちょっと違うの。わたしが知っているのは銀の髪に白銀のマントを纏った背の高い人。顔立ちも似ているわけではないのに、それなのに、どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。
『龍兄……お願い。その人のところには行かないで。聖が、いるじゃない。聖じゃだめなの……?』
伝えたかったのに、伝えられなかった言葉。百年に一度、ユジラスカの花が咲く度に、龍兄は聖をお花見に連れて行ってくれたのに、いつからだろう。お花見に連れて行くどころか、ユジラスカが根を張るルガルダの森にさえ近づくのを嫌がるようになったのは。
「龍兄? 何言ってんだ、樒。ありゃ、夏城だろ? 寝不足か? おーい、なーつきー!」
葵に軽く頭を小突かれて、わたしは守景樒の世界に戻ってくる。ダブっていた景色も徐々に一つに収まっていく。
「ごめんごめん、おそくなったー。あれ、樒ちゃん、こんなところで立ち止まってどうしたの?」
「あ、詩音さん。それに工藤君も。早かったんだね」
詩音さんの腕にはバスケットがかけられ、心なしかいい匂いが漂ってきている。
「ほら、早く行こう?」
促されるがままに、わたしは桜の木の下へと歩みだした。
「よっし。全員揃ったな。それじゃ、ジュースだけどかんぱーい!」
泡立つ炭酸の入ったコップを手に、葵の音頭でわたしたちは家族団らんよろしく楽しくおしゃべりを開始した。なんだか得も言われぬくすぐったい気持ちが湧き起こってきたけど、きっとあの満開の桜のせいだろう。
舞い落ちてきた桜の花びらが透明な炭酸に落ちて、小さな小さな波紋を広げていった。
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