ユグリッド「聖様……!」
突如、青年は潤んだ瞳でわたしの手首を両手で包み込むように握った。
夏城:なに勝手に守景の手ぇ握ってんだ。
ユグリッド「ああ、今生でもなんてお優しい方なのでしょう! 貴女に刃を向けたこの俺にこのような情けをかけてくださるなんて!」
樒「え、あ……」
夏城:早く逃げろよ。
緋桜「わぁぁ、樒、早く逃げて! 捕まっちゃう!」
混乱するわたしの耳に緋桜の声が入ってきたが、わたしはどうしようと目を右左に動かすばかりで、足に力は入らない。
夏城:しょうがねぇな。
夏城「おい、こいつに何か用か?」
樒「夏城君、だ、だめだよ、まだわたし怪我したわけでもないし」
夏城:怪我してからじゃ遅いんだよ。
夏城「そいつの手を離せ。お前は藤坂たちのところに行ってろ」
樒「はい。あ、でも傷つけちゃだめだよ」
夏城:自分の身の危険、分かってんのかよ。
夏城「……分かってる。三井、ちょっと来てくれ」
堂々と臆することなく青年は言った。でも、言葉のあと、悲しげに目元を緩めて微笑んだ。
ユグリッド「聖様、覚えていないかもしれませんが、俺はずっと貴女が大好きだったんですよ」
夏城:なんだと、この野郎。俺がずっと言えなかったことをなにをさらっと言ってやがんだ。というか聖、こんな奴と親しかったなんて、俺は聞いてないぞ。
樒「ごめんなさい、わたし、聖のこと全部覚えてるわけじゃないの。だから、あなたが誰かも分からない。――名前、教えてくれますか?」
夏城:いい、思い出さなくていい。こんなやつのこと、思い出さなくていい。
ユグリッド「ユグリッド。ユグリッド・ダストーク。炎様の作った慈愛院に遊びに来た貴女に、その昔ひとめぼれしたんです」
夏城:慈愛院、ぶっ潰す。
夏城「おい……、慈愛院ぶっ潰すとは思ってないぞ」
和泉「え、そのほうが面白いかと、思っ……ぎゃぁぁぁぁぁっ」
三井「でも、ユグリッドぶっ殺す、とは思っただろ」(にやにやにやにや)
夏城「……お前も微弱電流、試されたいか?」
三井「(ぶるぶるぶるぶる)めっそうもございません」
ユグリッド「聖様! 今生もお可愛いです! 俺、また貴方に恋をしてもいいですか!?」
(樒の手をとろうとしたユグリッドの手を、洋海が片手でわし掴む)
洋海「おい、姉ちゃんに用があるなら、先に俺通してもらおうか?」
ぺちぺちぺちぺち(白虎の縁でユグリッドのほっぺたをやさしく叩く)
樒「ひ、洋海~」(苦笑)
星「守景、俺もお前を通さなきゃだめか?」
洋海「∑はっ。(びしっと気をつけ)いえ、夏城さんはいつでもどうぞ、好きなだけ姉とお話してやってくださいっ!」
葵「あいつも気苦労が絶えないねぇ」
桔梗「自分で選んだ道だもの。しょうがないわよね」
宏希「でも一番の悲劇は」
葵、桔梗、宏希、徹「弟だとしか思われてないことだよなー(ねー)」
洋海「いいんですよっ、俺は。……側で守れれば、それで」
葵、桔梗、宏希、徹「報われねー(ないわね)」(溜息交じりに首を振る)
茉莉「はぁ……」
(ついでに遠くから覗いていた茉莉も溜息をつく)
片山と河山って、実はひらがなでは一字違い。
気づいたのはついこの間。
以来、組み合わせてるのが微妙な気がしてしまう。
ぼやきついでに。
やはり炎の子供のエピソードは迷う。
共感得られないだろうなと思ってる自分が、多分一番理解してない。共感してない。
頭では分かる気もするんだけど、普通は一人でも育てていくわってなるじゃん?
やっぱりまだ出すところが違う???
そもそもわたしにはこのエピの取り扱い無理?
「帰るわよ」
聖という名の少女が兄に抱きかかえられて、安らかな寝顔で帰っていくのを見送ってしばしのち、目の前に現れた長身細身の女性の影に気づいてヴェルパは顔をあげた。
「はい」
思うともなしに口許には微苦笑が浮かぶ。
「なによ」
迎えに来た女性は、腕を組み不機嫌に尋ねる。
「いいえ。ただ――」
「ただ?」
ヴェルパは笑った。
「こんな年でもお迎えの人が来てくれると嬉しいものなんですね」
女性はしばしじっとヴェルパを見つめた後、長い髪に風をはらませて踵を返した。
「行くわよ」
「はい、おばあさま」
おばあさまと呼ばれるには若すぎる女性が、むっとした表情を隠しもせずに振り返った。
「名前で呼びなさいと言ってるでしょう?」
ヴェルパは肩を竦めた。
「ちょっと、肉親が迎えに来たシチュエーションを体験してみたかったんです」
「何バカなこといってるの。ほんとに、旅先がこっちの世界だなんて、思いもしなかったわよ。それで? こそこそ私に内緒で出かけて、目的は達せられたの?」
「いいえ。南北を間違えてきてしまいまして」
「そうね。私はてっきり火炎の国にいったものだと思っていたもの」
「恋しいわけじゃないんですよ? ただ、一度だけでいいから…会ってみたかっただけなんです」
女性はじっとヴェルパの曖昧な微笑を見つめていたが、そっと目を閉じると再び踵を返した。
「あ、待ってください、リセ様ーっ。って、急に止まらないでください、リセ様」
「このままこっちで生きようとは思わなかったの?」
急に立ち止まったリセにぶつかりかけたヴェルパは、何気ない風を装って顔をあげ、リセを見上げた。
「あなたならできるでしょう。なぜ、母親の国へ行かなかったの?」
「リセ様…」
「南北、わざと間違ったわね? それくらいお見通しなのよ」
少し唇をかんだ後、ヴェルパは小さく呟いた。
「怖くて……」
お前など知らないと言われたら、二度と立ち直れない気がしていた。だって、生みの母は自分が生きていることさえ知らないだろうから。
でも、会いたい。一目、自分を産んだ人をみてみたい。言葉など交わせなくてもいい。ただ、どんな人なのか知ることができれば満足できると思っていた。
結局はそんな勇気も振り絞れず、正反対の国に来てお茶を濁してしまったけれど。
「今からでも私に背を向けていってもいいのよ?」
リセの言葉に、ヴェルパは泣きそうな笑顔で首を振った。
「僕は、リセ様と一緒に帰ります」
「あなたにとってはこっちの方がよほど安心して暮らせる場所よ」
「心配してくれてありがとうございます。でも僕の帰るところは、やっぱりまだ貴女のところみたいです」
リセはしばしヴェルパを見つめた後、ほっと誰にも聞こえないような小さなため息をついた。
「子どもね」
「まだ十三歳ですから」
ヴェルパの答えにもう一度ため息をつき、リセは歩きだした。
その背をヴェルパが追いかける。
「あの……」
「なに? 手なんか繋いであげないわよ」
「そうじゃなくて。僕のこと、探してくれてありがとうございました」
「いつもあるものがなくなったら、誰だって気になるじゃない」
「嬉しかったです。お迎え」
「いつも来るとは思わないことね」
「そうだ、リセ様。もし今度はリセ様が迷子になったら、僕が探してあげますね」
無邪気な微笑に、リセはしばし言葉を失った。だが、何事もなかったかのようにヴェルパの背を押した。
「馬鹿なこと言ってないで、ほら、入りなさい」
リセの押し出した次元の歪みの中に、ヴェルパはためらいなく飛び込んでいった。
人工の光が満ちた暗闇の世界へ。