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聖封神儀伝専用 王様の耳はロバの耳

「聖封神儀伝」のネタバレを含む妄想小ネタ雑記。

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お稲荷様の縁日で(星*幼少期)(0-6-5)

 早く大人になりたかった。
 大切な人を泣かせないで済むように。泣いていたら、大丈夫だよと安心させられるように。
 どうして俺の手はこんなに小さくなってしまったんだろう。
 昔はもっと、余すほどに大きかった。
 背負わされた責任もそれなりに大きかったが、世界すらもこの手にはすっぽりと収まっていた。
 それでも大切な人はいつも不安げな顔で俺を見、隠れて泣いていてもこの手を差しのべることなどできなかったが。だから、余計に自分にはその手が大きすぎるような気がしていた。
 今は、どんなに望んでもこの手はすぐには大きくならない。
 泣いてる母親の頭を撫でてやることくらいが関の山。いくら愛嬌を振りまいて見せたって、生活が楽になるわけじゃない。
 あんな父親、さっさと捨てちまえばいいのに。
 そう来が言うたび、母さんが傷ついているのを知ってるから、俺は何も言わない。
 どうすれば、笑ってくれるかな。
 どうすれば、泣かなくなるかな。
「俺は母さんについていく。あんな親父とこれ以上一緒になんかいたくないからな。あいつは俺たちよりも、自分の頭ん中の世界の方が大切なんだよ。そんな奴にこれ以上振り回されてたまるか。ってわけだからよ、お前は親父に引き取られろよ。母さんだって、子供二人抱えて生きてけるわけないんだから」
 ようやく離婚するんだって分かったとき、安心感よりも悲しさの方が強かったのが意外だった。
 もう母さんの泣き顔を見なくて済むんだって思ったのに、同時に、笑顔も見られなくなることになってしまったんだから。
「星。星はお父さんとお母さん、どっちと暮らしたい?」
 あらかじめ来から聞いていても、実際母の口からその言葉を聞いたら、胸の中心を鷲掴みにされたまま動けなくなってしまっていた。
 母さんはとても複雑そうな顔をしていた。浮かべようとした微笑も哀しげにしか見えない。
 母さんはまだ親父のことが好きなんだ。親父も、絵さえなければ母さんのことが一番に好きなんだ。でも、母さんは絵を書いている親父が一番好きなんだ。
 どうしようもない人たち。
 俺は、口も利かずにこちらに背を向けて絵筆を握り続けている父親の元に走っていった。
 父親は俺に見向きもせずにキャンバスを睨み続けている。
 握る絵筆は珍しく小刻みに震え、赤い絵の具がキャンバスの中の緑の塊の上に一滴落ちた。
「そう」
 背後で聞こえた母のため息。
 親父の捲くられた袖を握るわけにもいかず、俺は自分の拳をきつく握り締めた。
「行きましょう、来」
 待って。俺も連れてって。俺も母さんと一緒にいたいよ。あいつだけ連れて行かないでくれ。俺は母さんにとってかわいげのない悪い子にしか見えなかったかもしれないけど、俺は母さんのこと大好きだったんだ。
 行かないで。行かないで――!!
「星、いいんだぞ。母さんと一緒に行きなさい」
 キャンバスを睨んだままだとばかり思っていた親父が、おもむろに俺を上から覗き込んでいた。
 握っていた絵筆を右手に持ち替え、あいた左手がすっと俺の頬にのばされる。
「俺と一緒にいても、楽な生活なんてさせてやれない。飯すらつくってやれない。掃除もしてやれないし、……お前を笑わせてやることも出来ない」
 それは、できないんじゃなく、やる気がないんだろ。
 確かに絵を書いてるときの親父は何にも出来ない赤ん坊のようになってしまうけど。
 ばたん、と玄関のドアが閉められる音がした。
 行かないで、くれ――。
「俺はお前なんか大嫌いだ」
「知ってる」
「来が言ったんだ。今の母さんの経済力じゃ一人育てるのがやっとだって」
 親父も母さんも、子供の前でお金の話をしたことは一度もなかった。それでも、分かるもんなんだよ。うちの家計がどれくらい厳しいかなんて、見てりゃ分かる。小学校六年になった兄なら、さらに敏感に周りと比べてうちがどういう状態なのか分かってることだろう。俺はその苛立ちを見て、実感する。いつも。兄はマザコンもいいところで、自分のことしか考えてない超わがまま野郎だけど、あいつの言うことは間違ってないんだ。何せ自分のわがままを通すためには正論を振りかざして丸め込むのが一番だって知ってる野郎だから。
 だからって、今回もあいつの言うことを聞かされたわけじゃない。
「少ないけど、俺も援助は惜しまない」
「そういう問題じゃないんだよ!!」
 絵が売れれば、かなりの額が転がり込むことも知っている。でも、そんなのめったにあることじゃない。今までたまってきたツケ返して税金納めればあっという間になくなっちまう。毎月の給食費すらまた払うのが難しくなる。
「そういう問題じゃないんだ。母さんには、来がいる。でも、母さんはほんとは親父と一緒にいたいんだ。親父が好きなんだ。俺まで母さんについてったら、母さん、きっと独りぼっちになっちまったお前のこと心配して、またおかしくなっちまう。だからって、来とお前が一緒に暮らすってことになったって、母さんやっぱり心配するだろう? だから、俺がお前のところに残ったんだ! お前のためじゃない。母さんのために、俺はここに残るって決めたんだ。母さんが新しい暮らしはじめて笑えるようになるために」
 来が言ったからじゃない。
 俺は俺自身で母さんのために何が出来るか考えて、これが一番だって思ったんだ。
 この先しなきゃならない苦労なんて、どれも同じだと思った。
 それなら、母さんが少しでも笑ってくれる可能性があるほうがいい。
 親父は、俺がお前呼ばわりしたことを叱ることもなければ、それ以上俺の頬についたものを掬い取ることもなかった。
 キャンバスに向かって、絵筆を左手に持ち替える。
「俺も、咲子がまた笑ってくれればいいと思って手放したんだ」
 それ以上、親父は何も言わず、また黙々とキャンバスに赤い色を広げていった。



「なんだ、お前も迷子なのか?」
 東京も田舎の神社のお祭り。
 父子家庭になったことを知った父方の伯母が、夏休みだけでも家に来なさいと言ってくれた。
 ひたすら遠慮する俺を子供らしくないと一喝して、自分の息子のお古の浴衣を着せてつれてきてくれた神社のお祭り。狐の面をかけた大人ばかりがやけに目につく。
 その中で、赤いヨーヨーを持った迷子の女の子だけが、俺には同じ人間に見えた。
 手を繋いで母親探しに歩き出すと、ちり、と懐かしさが胸を焼いた。
 母親の手は、こんなに小さくもなければ滑らかでもなかった。
 だけど、この手はとても大切な人の手だった。
 狐の面の中を歩きながら、思う。
 この子の母親なんて見つからなきゃいいのに。
 このまま迷子でいれば、一緒に伯母さんのとこに帰れる。もしかしたら、その後もずっと一緒にいられる。
 大人しくついてきていた女の子が立ち止まったのは、そんな叶うはずもないわがままな思いを抱いたときだった。
「あれか? お前のお母さん」
 心なしか面影の似た女性が、鳥居の下を落ち着きなく行ったり来たりしながら通る人の顔を覗き込んでいた。
 女の子はぼんやりとその女性を見ている。
「よかったな。もう迷子になるんじゃないぞ」
 俺が言うと、女の子はくしゃっと顔を歪めて、握っていた手を強く握った。
 行かないで。
 女の子の目はそう訴えていた。
 昔、こういう目をよく見た気がする。
 母が出て行ってしまったとき、親父の目に映った自分の目。
 それよりもずっと前、愛しい少女が俺に向けていた目。
 そんな目をしたって、どうにもならないんだ。だって、君と俺はただの迷子同士。俺は別に見つからなくたって家にくらい帰れるし、帰れなくたって別に構いやしないけど、君にはあそこに心配してくれてる母親がいるだろう?
「りゅ……に……ぃ……」
 女の子の口から飛び出した音に、柄にもなく俺は魂を揺さぶられた。
 聞いたことがある。でも、どこで聞いたのか、その言葉が意味するものがなんなのか、俺はわからない。
 ただ、胸に湧き上がってきたのはあたたかな愛しさと、手放さなきゃならない辛さ、刹那さ。
 だって、俺の手はまだこんなに小さい。
「大切なお母さん、泣かせちゃだめだ」
 この手が大きくなったら迎えに行くから。
 約束、するよ。
 白く滑らかなおでこに唇を寄せた。
 守れなかった約束を、今度こそ果たすために。
 以前、何の約束をその子としたのかすらわからない。でも、今度こそ必ずだ。
 握っていた手を離した瞬間、女の子のぼんやりとしていた焦点は母親に結ばれた。
「樒!」
 母親が女の子に気づく。
 数歩離れただけで、俺は狐の雑踏の一員になっていた。
 女の子は不思議そうにきょろきょろと辺りを見回す。だけど、その目が俺を見つけることはなかった。
「いた! こんなとこにいたよ、星!」
 不意に従兄が俺を抱き上げた。
 一人っ子のせいか、実の兄よりも俺を大切にしてくれていた高校生の従兄。
「こら、だめだろ、心配かけちゃ」
 眼下に見える人々の黒い頭。屋台の赤い光。鬱蒼とした鎮守の静かな佇み。
 狐の面をつけた人など、もうどこにもいない。
「ごめんなさい」
 従兄の首に抱きついた。
「もう、しょうがないなぁ、星は」
 頭は俯いたふりして下げながら、目ではさっきの女の子を探す。
 さっきまであたふたと子供を捜していた母親の顔には安心感と楽しさが。見つかったと聞いて合流したのだろう、もう一人小さな子供を抱いた父親の顔にもほっとした表情が浮かんでいた。その二人に手を握られて、白地に金魚の浴衣を着た女の子が鳥居をくぐり、遠ざかっていく。父親と母親に笑顔を振りまきながら。
 その横顔を目に焼きつけて、俺は深く従兄の肩に顔を埋めた。
 夢が見れるといい。
 母さんと親父と、しょうがないから来と、四人でまたここの鳥居をくぐる夢を。



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