そうだ、ぼくは世界を造る力を手にいれたんだ。
この世界の者はみんな、ぼくの言うことを従順に聞く。ぼくが必要ないと言えばあっさり消える。
ここはぼくだけの世界。ぼくだけの人々(おもちゃ)。
なのに満たされた気がしないのはどうしてだろうね。
やっぱり君がいないからなのかな、麗。
君さえ、恐れる者などなにもないこの世界でまたぼくと永遠に遊んでくれるなら、ぼくの望みは叶うんだ。
そうだよ。
還りたい。
あの頃に還りたいだけなんだ。
麗、君と無邪気に冰麗城を走り回っていたあの頃に。
気付いてくれたかい?
だから、ぼくはこの鏡に冰麗城を映してきたんだ。本物そっくりだろう? 木も草も、鳥達も。
でも、この冰麗城はぼく達がかくれんぼしていたときの冰麗城じゃない。草も鳥も代が重ねられ、庭の大木すら孫世代よりも代が進んでしまっている。
聖刻法王。
君なら分かるよね?
時を巻き戻そうとした君なら、ぼくの願いが分かるよね?
「どうした、爽やか路線はやめたのか?」
育兄さんは口元に皮肉げな笑みを浮かべ、煙草の先に火を点しながら訊ねた。
俺は、今一度俯いて自分の身に着けているものに目を走らせる。
「別に、意識して白やら黄色ばかり着ていたわけじゃないんですよ」
身につけているものは全て黒。腕や耳につけられた飾り輪だけが不相応に黄金色に輝いている。
「好きだったわけでもない、か?」
何を問いたいのか、俺には分かるような気がした。
育兄さんは全てを知っているのだ。
俺が、本当は何者なのかも。
「綺麗なものに憧れていたんです。黄色は統仲王から風に与えられた色でしたけど、黄色も白も汚れればすぐにそれが分かってしまう純粋さがある。それを、どれだけ汚さずに着こなせるかなーって」
「己の過去を包み隠すためではなく?」
「隠すなら好んで黒を選びましたよ。内から滲み出てしまう危険もありましたから」
育兄さんは星しかない空を見上げてゆっくりと息を吐き出した。
白い煙が星空を汚していく。
「身体に悪いですよ」
笑いながら注意してみる。
指に挟まれた煙草からはまだ紅い熱を持った灰が落ちる。しかし、それは足元にたどり着く間もなく色を失って、やがて闇に溶けていった。
思い出すことは、たくさんある。
たくさんありすぎて、何も思い出せない。
当たり前だ。俺の魂はそもそも人間用のもの。神の子たちのように長い年月を記憶できるようにはできていない。ただ、一つだけ昨日のことのように思い出せることがある。何を忘れてしまっても、この記憶だけは失いたくない。
「いずれ滅ぶ身体だ」
もう一度煙草をくわえ、煙を吐き出して、ようやく育兄さんは呟いた。
「私が戻ることは二度とない」
二言目は、これほどまでに世界が静かでなければ聞き取ることなど出来なかっただろう。
自嘲に満ちた予言。
そう。予言に聞こえたんだ、俺には。
「生きろといわれました。炎に、生きて待っててほしいと言われました」
「自ら死を選んでおきながら、我儘な妹だ」
「……初めて言われたわがままです」
炎は麗兄さんや鉱兄さんにはわがままで高飛車な姉と思われていたようだけど、俺には何一つ何かしてほしいと言うことはなかった。姉だから甘えたくなかったのか、甘える関係にしたくなかったのか、俺があまりに頼りなさ過ぎて何かわがままを言う気にならなかったのか。
炎が何を考えているのか、ついぞ俺には分からなかった。分かろうとすればするほど、分からなくなる。むしろ、炎は俺にだけは知られたくない何かを抱えて死んでいったようにも思えるのだ。
分かり合えなくなっていたのに、どうして俺たちは一緒にいることを選び続けていたのだろう。
離れることを選んで尚、なぜ炎は俺にあんなことを言ったのだろう。
「黒は着心地がいいか?」
物思いにふける俺を呼び戻すかのように、育兄さんはいつもよりも大きめの声で訊ねた。
俺は空を見上げる。
「さぁ、わかりません」
「当ててやろうか? 炎に隠しておきたかったことがあったんだろう? 炎が死んだから、隠す必要もなくなった」
「隠すために黄色や白着てたわけじゃないって言ったじゃないですか」
「隠したかったのは、お前自身だ。黒は、あまりにもお前自身に近かった。だから自分をさらけ出すような気がして使えなかった」
「……そんな。人を罪の塊のように……」
笑った。顔を伏せて、そのまま笑いながら呟いた。
嫌な兄だ。何でもお見通しの人ほど、側にいたくない人はない。
「風」
それでも、俺は好きだった。唯一、この人だけは俺という人間を理解している。その上で、俺を風と呼ぶ。
「風の祝福を受けた者よ」
知っている。やはり、この人は全てを知っているのだ。おそらく、風と呼ばれる前にすでにカインと契約していたことも。そう、父母の復讐をしたいがために、最上級の精霊の祝福を無理やり力で手に入れたことも。
「何でしょう?」
「煙草、いるか?」
差し出された白い一本に、俺の目は釘付けになる。
「私も吸っているただの煙草だよ。爆発するわけでも、何かの手紙が仕込まれているわけでもない」
「……いただきます」
受け取って指の間に挟み、口に咥える。炎が煙草の先端を焦がす。
「身体に悪いといっておきながらその吸い方、常習者じゃないか。炎の精霊もお久しぶりと言っているぞ」
炎は煙草に火がともると慎ましやかに消えていた。
お久しぶり、か。
鍛冶を生業としていた頃、彼女にはカインリッヒ並みに世話になっていた。いや、それ以上か。それこそ、金物を鍛えるところから煙草に火を点すところまで。
ずっとついてきていたんだろうか。この身体になってからも。
「常習者だなんて、勧めておきながら人聞きの悪い」
「共犯者がほしかったんだよ」
胸の中をほろ苦い風味が円を描いて駆け抜けて、大気へと吸い込まれていく。
「共犯者」
煙草の? それとも……
「兄さん、今度はカラムのライトにしてください。これ、重すぎます」
うっすらとたどり着いた結論には触れずに、俺は自分の好物だった銘柄をあげた。
「カラム? そこはもう数億年前に生産をやめていたはずだがね」
「え?」
しまった。
口元は押さえなかったものの、間抜けな顔で俺は育兄さんを振り返っていた。
「嘘だよ。じゃあ、この戦いが終ったら用意しておくから、そのときはまた一緒に秘密を抱え込んでくれるかい?」
「育兄さんはもう秘密でもなんでもないでしょ。それに、死ぬことのない身体なら、身体に悪いだのなんだのって話は何の意味もありませんから」
「イメージってものがあるだろう。お前がずっと重視してきたものだよ」
半ばまで吸いかけた煙草を足元に落とし、足で揉み消す。残った部分に何の未練もなく。
「他愛ない話というのはよいものだな。お休み、風」
颯爽と鮮やかな深緑の裾を翻して育兄さんは俺に背を向けた。
「目覚める眠りを大切にするといい」
訳など、分かりたくない言葉を残して。
俺は、黒い衣装を身につけている。
鉱兄さんのように、失った大切な人の喪に服そうと黒を着ているわけじゃない。
炎が死んで、初めて黒を着たいと思った。黒い布に手が伸びていた。
キースのときのように。
中を見透かされそうな黄色や白よりも、この色は着ていてとても気が楽だ。
風でなくなったわけではないのに、もう何も隠さなくてもいいという解放感があった。
「俺は、何を隠してたんだろう」
疑問を掻き消すように風が吹く。
『あの曲を吹いて』
煙草を手放し、代わりに笛を唇に当てる。
俺は、やがて思考していたことも忘れて笛の音色に没頭していった。
吹き終わっても、もう誰も拍手はしてくれない。それでも、君が聞きたいというのなら吹いてあげよう。
君の好きだった光の曲を。
鉱の名前、光と音かぶってるじゃないですか。
どうして「陸」とかにしなかったんだろう。てか、思いつかなかったんだろう、その漢字。
「陸」って名前だと、もっと落ち着いてどっしりした人生歩んでそうですけど。
名前を変えると性格もイメージも変わってしまうので、今更そんなことは出来ない、出来ない。。。