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夢を見た。
ように思った。
温室の中、心地いい涼風に緑の葉葉が揺れてガラス越しの青空をさえぎる。
眠る前と何一つ変わらない光景。相変わらずの静寂。
周りで変わったものは何一つない。
だけど、俺の記憶だけが一日分、増えていた。
きっと守景が時を戻しても、俺は忘れないだろうと思っていた。
聖の力も有極神の力も俺には及ばない。
有極神は俺を帝空神と呼んでいたが、多分そいつの性質のせいなのだろう。
体を起こす。
時計を見る。
七月二十三日、午後十二時三十五分。
確かに時は巻き戻されていた。
あいつも多分、全部忘れていつもどおりどこか周りに薄い壁をはりめぐらせ、科野と藤坂に囲まれて控えめに笑っているのだろう。
そして、俺に対してはまた傘を返すタイミングを探しはじめる。
来週末の約束も、唇に触れ合ったことさえも忘れて。
まあ、いい。
急ぐことは何もない。
妨げる鎖はもう解けている。
俺はあいつがちゃんと笑っていられるように見守っていられればいい。
今はまだ。
温室の外は雲一つない青空と灼熱の白い太陽が音すらも支配していた。
クーラーで冷やされ続けた体にはこれくらいの方がちょうどいい。かといって長居する理由もないから、俺はさっさと校舎への扉をくぐった。
寝ているうちに授業は終り、階下からは昼のにおいと生徒たちの明るいざわめきが遠く響いてくる。
そのざわめきを縫って、やけに明るい足音が上りながら近づいてきた。
手摺越しに俺は足音の主を見下ろす。
弁当を片手に鼻唄でも歌いだしそうな守景だった。
顔を見れば分かる。
やっぱり全部忘れているな、と。
それでも、失われた昨日、時を止めて青ざめていたときよりも、今朝見かけたときよりも、仮面が一枚はがれたかのようにその表情は晴れやかだった。
守景が俺に気づいて顔をあげる。逆光に目を眇めながらも、俺と気付いて口を開く。
「あの……」
うん、やっぱり忘れている。
階段を一段下り、二段下り。
同じように上ってきた守景は、何かを思い出そうと必死に俺を見つめる。
忘れてていいんだよ。
そっと伏せた顔に、俺は笑みを浮かべていた。
「傘なら気にするな」
踊り場ですれ違う瞬間、俺はそれだけを囁いた。
夢から覚めるように守景は目を見開く。
それを視界の端におさめて、俺は屋上階段をあとにした。
途中、すれ違った藤坂が面白そうに俺を見ていたが、そんなこと知ったことか。
「あっ! 星、お前どこいってたんだよ、数学さぼって!」
購買帰りらしく袋を持った徹が馬鹿みたいに陽気な歩調で階段をかけあがってきた。
こいつも綺麗さっぱり忘れているようだが、まあ、こいつの場合はどうでもいい。
「ふーん、コロッケパンうまそうだな。一つよこせ」
袋の中から一つパンをとりだして勝手にあける。
「ああぁぁぁっ、俺様のコロッケパンっっっ!!」
徹はオーバーに廊下にへたりこんでうちひしがれてみせた。
が、すぐに奇妙な笑い声をたてだした。
「ふっふっふっふっふっ。だが星! 俺様だって負けてばかりじゃないんだぞ。みろ! こんなこともあろうかともう一つコロッケパン買ってきたんだ! ついでに焼きそばパンにスパゲティパン、ハンバーグパンもあるぞ!!」
「……お前、炭水化物とりすぎじゃないのか?」
「……」
おーぉ、崩れてる。
「そんなにあるならこのパン、お前のおごりな」
さて。
パン一つで夜までもつわけもない。どこか食べに行くとするか。
「あ、こら、星!三コマは一時二十分からだぞ!! 古典だからな。ちゃんと来いよ! 席とっておくからさ!!」
……どこまで人がいいんだか。
「パン、もう二個よこせ」
しゃがみこんで手を出すと、徹は顔を明るく輝かせて別の袋も差し出した。
「こっちにはおにぎりもあるぜ」
「いくら食うつもりだったんだ、お前は」
「星と半々ならちょうどいいだろ?」
いけしゃあしゃあと言って徹は空の左手も差し出す。
「三コマでるならコロッケパンはおごってやる」
真剣に見つめてきた徹に俺は溜め息をついて三百七十円をのせた。
ハンバーグパンと焼きそばパン、それに高菜のおにぎり代として。
「まいどありぃっ! って、星、そっちは講堂じゃないぞっ」
「俺は静かなとこで食いたいんだよ」
「あ、じゃ、温室なんかどうだ?」
あの温室に人が増えるのも時間の問題かもな。
「なら講堂でいいや」
残念そうな徹をおいて、俺は講堂に入った。
昼のにおい。楽し気にお喋りする声。走り回るやつら。
こんな日常がえんえんと続いていく。わずかな起伏を持ちながらも。
それが、俺たちの望んだこと。
あいつが望んだこと。
聖が、夢見た世界――